吉屋信子記念館で吉田五十八の数寄屋建築に触れてみましょう!

吉屋信子記念館は、吉屋信子の自宅だった建物を利用してオープンしました。ちょっと奥まった場所にあるので、なかなか穴場な観光スポットでもあります。

吉屋信子記念館

旧前田侯爵邸である鎌倉文学館からほど近いので、庭園見学を楽しんだ後に訪れて見てはいかがですか。

吉屋信子について

吉屋信子は1896(明治29)年、新潟市で生まれました。6歳で栃木県に転居。学生時代から雑誌に小説を投稿していました。

両親に大学進学を反対されますが、兄を頼って上京し、雑誌の投稿を繰り返し、採用されるようになります。

1916(大正5)年、少女小説「花物語」の第1話を発表。52話まで連載が続きました。この本は、1939(昭和14)年に発売された版の表紙を中原淳一が手がけたことで知られています。吉屋信子の代表作の一つです。

花物語

1926(昭和元)年、生涯のパートナーとなる門馬千代と同居を開始。

1928(昭和3)年、小説の印税で門馬千代と大連・パリ・イタリア・イギリス・アメリカを巡り、1年ぶりに帰国します。パリでは藤田嗣治の家を何回か訪れました。

1936(昭和11)年、姦通罪をテーマにした家庭小説「良人の貞操」がベストセラーに。

1938(昭和13)年から、従軍作家として、中国・インドネシア・ベトナムなどに赴きます。女性の従軍作家は、吉屋信子以外では林芙美子くらいで、かなり珍しい存在だったようです。

1944(昭和19)年、東京の自宅から鎌倉の大仏裏にある別荘に疎開。翌年、東京の家は空襲で焼失してしまいます。

1951(昭和26)年、歴史小説「安宅家の人々」を毎日新聞に連載。

1962(昭和37)年、現在、吉屋信子記念館になっている自宅を建て、引っ越します。

1973(昭和48)年没。お墓は大仏のある高徳院にあり、建築家・谷口吉郎が設計しました。

1974(昭和49)年、鎌倉市に寄贈された自宅が、吉屋信子記念館としてオープンします。

2007年、70年の歴史を閉じた「女流文学者会」では、宇野千代や佐田稲子と共に中心的な役割を果たしました。

吉田五十八について

吉田五十八は1894(明治27)年、東京日本橋に5男として生まれました。父は太田胃酸の創業者で、五十八という名前は父が58歳の時に生まれたから、という理由でつけられました。

母方の姓が途絶えるのを防ぐため、15歳の時、吉田家の養子になります。

1915(大正4)年、現在の東京芸術大学美術学部に入学し、建築を学びます。同級生には画家の山口蓬春もいて、後年、自宅兼アトリエを増改築することに。現在、その自宅は山口蓬春記念館として一般公開されています。

1923(大正12)年、病気などにより8年かけて大学を卒業。事務所を開きますが、関東大震災が発生し自宅も焼失したことでヨーロッパ行きを決断します。

1925(大正14)年、ヨーロッパやアメリカを回り、ルネッサンス建築やゴシック建築を見たことで、外国建築に対抗するには和風建築しかない、と作風を変更。

今までの日本家屋(数寄屋造り)を、西洋建築のような軽さを出しながら建てた先駆者である吉田五十八。和風建築に洋間を取り入れたり、防火にも気を使ったり、新しい試みをいろいろ行いました。

吉田五十八は芸術家や文化人、政治家などの自宅やアトリエを建てただけではなく、歌舞伎座、成田山新勝寺本堂、芥川賞や直木賞の発表の場として有名な新喜楽や金田中など料亭の建築も手掛けています。

長唄や小唄は本業レベルで、歌舞伎座の舞台に立っただけでなく、舞台美術を担当したこともあります。

東京芸術大学の名誉教授にもなった吉田五十八は、1974(昭和49)年、79歳で亡くなりました。

吉屋信子邸と吉田五十八の関わり

吉屋信子

吉田五十八は、芸術家のアトリエをたくさん建てています。

神奈川県中郡二宮町には吉田五十八の自宅が現在も残されていて、毎年秋に開催されている湘南邸園文化祭では、日本画家である山川秀峰(息子は小説家の山川方夫)の別荘と共に公開されたことも。

他にも、鏑木清方の自宅、川合玉堂のアトリエ、小林古径の自宅など、多くの芸術家の家を手がけています。

吉屋信子は3回、吉田五十八に建築を依頼しましたが、そのきっかけは小林古径の家を見たことだそうです。吉田五十八と同じくヨーロッパに行ったことで、吉屋信子は和風建築の良さに気付くようになりました。

1935(昭和10)年、牛込区砂土原町(現在の市谷砂土原町)に建てた家は、洋風なキッチンや、イスとテーブルを使った書斎など、和と洋が融合した建築でしたが、東京大空襲で焼失してしまいます。

1950(昭和25)年、千代田区麹町に新たな家を建て、1962(昭和37)年、鎌倉に転居するため、吉屋信子記念館として使われている家を建てました。

66歳になった吉屋信子は、鎌倉の家を奈良にある尼寺のような感じの家にしたい、と吉田五十八に依頼しました。

吉屋信子記念館の北向きにある書斎の窓からは藤棚が見え、南側には庭が広がります。じゅうたん敷きにイスとテーブルという応接室ですが、あまりモダンな印象ではなく、落ち着いて過ごせそうな雰囲気の空間でした。

吉屋信子記念館

大通りから離れた住宅街に建っているので、静かで仕事も進みそうな感じの家です。現在は吉屋信子記念館の斜め前くらいに、こけしとマトリョーシカの専門店「コケーシカ」があります。

吉屋信子記念館は春と秋に公開されていますが、日にちが限られるため、鎌倉市のWebページで予定をチェックしてから出かけてみてください。

https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/gakusyuc/yoshiya-koukai.html#ippannkoukai

【参考文献】
「建築家吉田五十八」
「惜櫟荘だより」
「生誕110年 吉屋信子展-女たちをめぐる物語」

【画像】
https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/gakusyuc/yoshiya-koukai.html#ippannkoukai
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