横山大観記念館は上野の隠れアートスポット

横山大観記念館は、上野恩賜公園からは不忍池をはさんだ反対側にあるため、絵画鑑賞に興味のある方でも、なかなか立ち寄らないスポットかもしれません。

上野恩賜公園の喧騒から離れ、ちょっとゆっくりするのにおすすめなスポットです。

横山大観について

横山大観

横山大観は1868(明治元)年、水戸藩士の家に誕生しました。

1878(明治11)年、伯父を頼って家族で東京に移住。現在の日比谷高校に進んだ横山大観は、成績が優秀なため、半年早く卒業しました。

その後、東京大学予備門を受験しますが、大学予備門付属の英語専修科も同時に受験していたことが問題となり、合格していたにも関わらず入学取消になります。

入学していたならば、横山大観は東京大学の工科に進み、建築家になる予定だったそうです。

日本画家・横山大観はこの事件がなかったら生まれていなかったのかもしれません。

東京大学予備門の代わりに、私立の東京英語学校に入学した横山大観。のちのち、この英語力が役に立つことになります。

東京英語学校を卒業する頃、東京美術学校(現在の東京芸術大学)が開校することを知り、1889(明治22)年、東京美術学校に1期生として入学。そこで、校長の岡倉天心と出会います。

大学を卒業した後、竹内栖鳳と共に現在の京都市立芸術大学の教員などを経験してから、東京美術学校の助教授になりますが、1898(明治31)年、岡倉天心が辞職に追い込まれた影響で、多くの教授・助教授と共に大学をクビになってしまいました。

同じ年、岡倉天心は美術団体・日本美術院を設立し、横山大観も参加します。

1902(明治36)年、岡倉天心のすすめで菱田春草と一緒にインドを訪問。翌年には岡倉天心や菱田春草らと、ボストン美術館での仕事のため渡米し、ニューヨークやロンドンで展覧会を開催後、帰国します。

横山大観は、輪郭線を描かずにぼかす「朦朧体」という表現方法などに取り組む中で、独自の作風を生み出しました。

それまではあまり国内では評価されていなかった横山大観ですが、1907(明治40)年、明治政府が主催する文展(現在の日展)の審査員に岡倉天心の推薦で決まったことで、芸術家として一躍脚光を浴びることになります。

岡倉天心の死後、衰退していた日本美術院を下村観山・木村武山と一緒に再び盛り上げようとした横山大観。同人の作品を頒布会で販売したり、東海道を歩きながらスケッチして展覧会を開いたりし、運営資金を稼ぎました。

1923(大正12)年、人生を絵巻に描いた代表作「生々流転」を完成。

富士山を描いた作品も多く残しました。

1957(昭和32)年、90歳で亡くなります。

横山大観記念館について

横山

横山大観記念館は、横山大観が住んでいたアトリエ兼住居を使用した施設です。

この家は、1954(昭和29)年、横山大観が86歳の時に完成しました。もともと、1909(明治42)年からこの場所に住んでいたのですが、1945(昭和20)年、爆撃により家を消失。新しい家は、残った土台を利用し、以前の家を再現して建てられました。

横山大観記念館の建物(木造の数寄屋造り)と庭園のデザインは、横山大観が自ら手がけています。

2階のアトリエからは不忍池が臨めるだけでなく、中庭も見ることができますよ。階段を上るのが大変になってからは、1階の第2客間をアトリエ代わりに利用していたそうです。

館内では、芸術家・横山大観の作品を鑑賞することもできます。

北側に残っている蔵は、大正時代のものだそうです。

横山大観に関するエピソードあれこれ

以前の横山大観邸では、中国旅行に行った際に買ってきたロバを飼っていたのですが、近所から鳴き声に苦情があり、上野精養軒にロバを譲ったそうです。横山大観は、ロバに乗って近所の馬場まで移動することもあったのだとか。それ以外にも、犬や猿、くじゃくなども飼ったことがあるそうです。

お酒が大好きで、多くの芸術家と交流した社交的な横山大観。客間・鉦鼓洞(しょうこどう)の真ん中には囲炉裏があり、熱燗をしてお客さんをもてなしました。

横山大観は、襖絵や天井絵など、多くの建物にも作品を残しています。1931(昭和6)年、社殿を建て直した下谷神社には龍の天井絵を残しました。横山大観は、この絵に対するお礼をそのまま奉納し、その代わりにお酒をいっぱい持ってきて、と頼んだそうです。そのため、神社や氏子が集まり、横山大観邸で大宴会が開かれました。

日本のバルビゾンを目指し、岡倉天心が横山大観ら日本美術院のメンバーと移り住んだ茨城県の五浦(いづら)。ここには、岡倉天心が設計した六角堂(東日本大震災で流失し、その後再建)があるだけでなく、横山大観の別荘も残されているんです。

横山大観旧別荘は、貸切露天風呂を新設して、五浦観光ホテルの特別室として宿泊できるようになりました。室内には、横山大観が愛用したものを展示しているスペースもあります。

東京の家が消失していた時期、横山大観は熱海の伊豆山の別荘に住んでいましたが、大観荘をオープンする以前のご主人と仲良くなり、旅館に「大観荘」の名をつけることを快諾したそうです。現在も、横山大観が絵を描いた部屋は、「大観の間」として宿泊ができるようになっています。

【参考文献】
「別冊太陽 横山大観」
「自転車で東京建築さんぽ 明治・大正・昭和篇」

【画像】
http://taikan.tokyo/index.html

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