前川國男邸は、戦争中だったからできた家だったのかも!?

前川國男邸は、江戸東京たてもの園の中に移築保存された家です。三角屋根の木のおうちは、どこか和風な山小屋のような雰囲気を感じさせます。

前川

小さいのにいろいろ工夫が凝らされた前川國男邸。ぜひ、一度訪れてみてください。

前川國男について

前川國男は1905(明治38)年、新潟に長男として誕生。父は内務省の土木技師でした。母は弘前出身です。三男の春雄は、日銀総裁になりました。

前川

1909(明治42)年、父の転勤にともない、東京に引っ越します。翌年には、すでに建築家になろうという夢を持っていました。高校時代には、音楽にも深く興味を持ちます。

1925(大正14)年、東京帝国大学工学部建築学科に入学。同級生には谷口吉郎などがいます。兵役検査を受けますが、偏平足のため兵役を免除され、第二次世界大戦中も戦いに参加することはありませんでした。

1928(昭和3)年、大学を卒業してから、運賃の安いシベリア鉄道経由でパリに向かいます。着いた翌日から、ル・コルビュジェのアトリエで働くことに。2年勤務した後に、日本に帰国します。

1930(昭和5)年、アントニン・レーモンドの事務所に入社。最初に前川國男の名前で手がけた作品は、弘前の木村産業研究所です。この収入を事務所に全額譲ったことで、午後3時からの時間をコンペ作品にあてることができるようになりました。

ちなみに、アントニン・レーモンドの妻・ノエミは、前川國男が中学(現在の日比谷高校)時代に英語を習った先生だったそうです。

1935(昭和10)年、アントニン・レーモンドと仲違いし、事務所を辞めた翌日に事務所をつくります。

1938(昭和13)年、事務所に丹下健三が入社。

1941(昭和16)年、目黒の自宅が完成します。この建物が、現在、江戸東京たてもの園の中にある前川國男邸です。

この年上海で、ル・コルビュジェのアトリエ時代一緒だった、デザイナーのシャルロット・ペリアンに再会します。シャルロット・ペリアンは坂倉準三ともル・コルビュジェのアトリエで仕事しました。

1945(昭和20)年、本郷にあった実家と銀座の事務所を東京大空襲で焼失。その後10年間、目黒の自宅を事務所としても使うことになります。

1947(昭和22)年、新宿に木造2階建ての紀伊国屋書店を建てます。1964(昭和39)年に建て替えられた現在の紀伊国屋書店も、前川國男の作品です。

また、団地好き、建築好き双方から親しまれている「阿佐ヶ谷住宅」のうち、低層傾斜屋根型テラスハウスの174戸は前川國男建築設計事務所が設計しました。

阿佐ヶ谷

1954(昭和29)年、コンペで当選した神奈川県立図書館・音楽堂が完成。神奈川県立音楽堂の内部には木が使われ、
音響効果が素晴らしいことで知られています。その後、京都会館や東京文化会館などのコンサートホールも手がけました。

ちなみに、わたしは大学の受験勉強を神奈川県立図書館の学習室でしていたので、懐かしいです。隣の神奈川県立青少年センターも前川國男の作品で、社会科見学や中学校の部活動講習会などでも利用していました。

1955(昭和30)年、国立西洋美術館建設のために来日したル・コルビュジェの設計に協力します。1979(昭和54)年にできた国立西洋美術館新館は、前川國男の作品です。

国立西洋美術館

1959(昭和34)年、日本建築家協会会長に就任。

1973(昭和48)年には、景観論争などにより難航した、東京海上火災保険会社本社ビルが完成。

1986(昭和61)年、81歳で亡くなりました。

前川國男が中学時代にはまった芸術家は、音楽家の梁田貞。大人になってからはバルトークにもはまりました。

昨年(2016年)、岡山で開催された「岡山芸術交流」というイベントでは、自ら建築した岡山県庁の周りに「前川國男のことば」という展示が行われ、プチ芸術家としても活躍(?)しました。

美術学校に進み、画家になろうとしていたル・コルビュジェの弟子だったので、前川國男も芸術家的センスを持った建築家と言えるのかもしれません。

前川國男邸について

前川國男邸が完成したのは1941(昭和16)年のこと。

1939(昭和14)年に、木造建物建築統制規則という法律が制定されます。この法律は延べ床面積100平方メートル(30坪)以上の建物を建ててはいけない、という法律でした。

前川國男邸は、広さに制限がありながらもコンパクトに機能が詰まった家になっています。南側がガラス張りなので明るく、吹き抜けの天井は開放感を感じさせます。

わたしが一番驚いたのは、玄関からリビングに入る際のドアが、かなり大きいサイズだったのにも関わらず異様に軽かったことです。こんな軽さでいいの!みたいな気持ちになりました。階段もスケルトンタイプなので、見た目に軽さを感じます。

コンパクトなこの家は、戦後の10年間、事務所代わりにもなりました。前川國男夫妻は、寝室以外にプライベートスペースが無くて困ったそうです。

1973(昭和48)年、前川國男邸は解体され、1997(平成8)年、江戸東京たてもの園にオープンしました。

江戸東京たてもの園について

江戸東京たてもの園は、江戸東京博物館の分館として、1993(平成5)年、東京都小金井市にオープンしました。

マスコットキャラクターを手掛けたのは、小金井の名誉市民でもある宮崎駿です。

主に、江戸時代から昭和までの東京の建築を移築し、野外展示している博物館で、園内には武蔵野うどんが食べられるレストランや洋館を使ったカフェもあります。

主な建物にはボランティアガイドがいるため、詳しいお話を聞くことができます。わたしが行った時は見学者がたまたまいなかったため、前川國男邸のガイドさんとかなり長い時間話し込んでしまいました。

高橋是清邸のガイドさんには、2階の窓際から宮崎駿監督がスケッチしていたという話を伺いましたし、三井八郎右衞門邸のガイドさんは熱い方で、質問にも熱心に答えてくださいました。

ビジターセンター内の展示室では、5月30日から9月10日まで特別展「世界遺産登録記念 ル・コルビュジエと前川國男」が開催される予定なので、こちらもお見逃しなく。

【参考文献】
「一建築家の信條」
「コミュニティ・ミュージアムへ 「江戸東京たてもの園」再生の現場から」

【画像】
https://www.photo-ac.com/